2015年04月19日

白血病の妹が私に与えてくれた様々なもの

過去記事からの転載再掲載です。
今日だけは酒を不味くするかもしれませんが・・・
ちょっと今日は淋しくなるような悲しくなるような湿っぽい思い出の話、体験談を書きます。

ですので、見たくない方や仕事中の方、ハッピーな気分でいたい方はこの時点でスクロールせずに読むのを辞めてください。





実は私の妹は約20年前に白血病で他界してます。
妹の病気が判ったのは、私が小学生の頃父と母が別居の為引越しをしたのがキッカケでした。

引っ越して妹の病院を変えたところ、今までの病院ではたいしたことないと言われていたのに、いきなり妹は日大病院に連れて行かれ入院。

当時妹はまだ3歳でした。
その日から私は、半一人暮らしの生活が始まりました。
世間で俗に言う鍵っ子になりました。

昼間は看護婦さんが妹を見てくれていますが、夜は母が付き添わなくてはならない為、母はいつも昼のうちに仕事に行き、家に帰ってきて家の事を済ませると毎日病院に泊まっていました。

私は毎日、家に帰ると壷の中にある500円札を持って自分で夜ご飯を買って食べてました。
当時9歳の自分には、少し寂しい夜の食事でした。

そんな毎日を繰り返しながら、時々学校が終わって病院へ行きますが、小児病棟への子供の立ち入りは禁止されている為、妹にはほとんど会うことは出来ませんでした。
妹にも会えず、母とも時々しか会うことができず。

母の友人や知り合いは妹のお見舞いに行くことはあっても私には誰も会いに来てはくれませんでした。
正直当時の私は妹に嫉妬しました。
毎日、学校が終わって家に居るのが寂しくて壷の中の500円札を持って遊びに行きました。

他の友達は夜まで遊んでいると親から怒られていましたが、誰も私のことを怒ったり、家に連れ戻してくれる人はいませんでした。
ある夜、私は熱を出しました。
引っ越してからあまり近所付き合いもなく、周りに誰も頼れる人も無く私は熱にうなされました。

あの時ほど寂しく辛い夜はありませんでした。
私はあまりの苦しさに母に電話しました。

しかし電話の向こうで母は「友人のおばさんにすぐに行ってもらうから」と私に言いました。
当時の私の子供心としては、やはり母は妹のほうが大事なんだぁと、ひねくれたとらえ方をしてしまいました。

まだわがままな子供だった私は正直、寂しさと辛さのあまり「もうこのまま死んでもいい」なんて馬鹿なことを考えたりもしていました。
そしていっときするとおばさんが来てくれました。
おばさんは私を看病してくれましたが、やはり私はこんなときにも会えない母親のことを考えると寂しくて仕方ありませんでした。
しかし次の日の朝私が目を覚ますと、横に母が居ました。

その時私はすごく反省しました。
私も母の大事な子供なんだと思うと病気で苦しむ妹に嫉妬していた自分が馬鹿だったと・・・
6歳も歳が離れた病気の妹に、嫉妬するなんて・・・
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妹は入退院を繰り返しながらも月日は流れ、私は16歳の10月に社会人として静岡に行きました。
そして初めて貰うお給料日の翌月には妹の誕生日がありました。
初めて貰ったお給料で私はサンタクロースのぬいぐるみをプレゼントで送りました。
決して高い物でもないし、たいした物でも無いのに妹は喜んで、大事にしてくれました。
きっとこの時、喜んでくれる妹を見て「人が喜んでくれるということって、こんなに素晴らしいことなんだ」と思った私は、人に喜びを与えるサービス業という世界への道を歩み始めたような気がします。

妹はぬいぐるみをいつまでも大事にしてくれました。
クリスマスが終わっても、夏になっても。。。
人に与えた物をこんなに大事にしてもらったのは、生まれて初めてでした。

そして、それから妹は入退院を繰り返しながらも約5年の月日が流れて、連休をもらって帰省して妹の病院に行きました。
妹はとても元気でした。車椅子で散歩(病院には内緒で外に抜け出したり。。。)に行ったり、いろんな話をしました。

そして、私が聴いていた曲に興味を持ちました。
Stevie BのBecause I Love Youという曲です。
私はその曲のCDを妹に買ってあげました。

それから何ヶ月か過ぎて、母から電話がありました。
「妹の意識が戻らない」と・・・
妹は自分で呼吸をすることも出来なくなり、喉を切って管が通されていました。
久し振りに会うのに口もきいてくれず、目を開くこともありませんでした。
そしてずっと意識は戻りませんでした。
妹のベットの横には汚れたサンタクロースのぬいぐるみがありました。
そしてCDラジカセの中には私があげたCDが・・・

ある晴れた日に、苦しむことしか出来なくなった妹の延命処置をやめていただくように私と母から御願いしました。
外は晴れていたのに雨が降り出しました。

泣き崩れる母の前で私は涙を流すことは出来ませんでした。
私が中学生の頃から、担当していた看護婦さんも横で泣いていました。
そして通夜の夜、妹は子供だった為来られる方もそう多くは無いだろうと思っていた母と私はビックリしました。

私も知らない多くの人達が妹の通夜に来ました。
話を聞くと妹は生前、空き地で花を摘んできて近所の人にあげたり、あめ玉をあげたり、いろんなところで会う人々に挨拶をしたりしていたらしいのです。
きっと妹が生きていたら最高のサービスマンになっていたかもしれません。。。

多くの家の近所の人達や病院周辺の人達が来ました。
通夜は予想以上に長引き多くの人々が来て、深夜までかかりました。

葬式当日、母が打ち合わせをしている時に私は妹の棺に行きました。
それまで母の前では流せなかった涙を私は流しました。
本当に身体中の水分が無くなってしまうのではないかというくらい泣きました。

そして葬式も終わりかけて、母が喪主の挨拶を終えようとした時、母は倒れそうになりました。
私は母をしっかり支え二人で最後の挨拶を終えると、母は力尽きるように私に全体重を預けてきました。
この長い間、頑張って病気の妹を支えてきた母の闘いは終わりました。

そして、こんな妹がいてこんな母親がいたからこそ今の私があるのです。
家族の愛、人への優しさや思いやりの大事さを私は子供の頃に身近に感じることができました。
悲しいことも辛いこともあったけど、それ以上に大きな愛があったから私は今まで生きてこれたんだと思います。
こんなありがたい人生を私は大事にしていこうと思います。
病気の幼い娘と手のかかる息子を女一人で育ててきた世界一の母親には、心から感謝しています。

こんな湿っぽい記事で申し訳ありませんでしたm(__)m
そして私はこうしてバーテンダーとして新たな考え方を持って歩み始めました。
http://jpbartender.seesaa.net/article/417102586.html

妹にあげたCD、Stevie BのBecause I Love Youもしよければ聴いてみてください。
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